絵はあなたが欲する世界をあなたが思った通りに表現できるのでとても面白い.その反面ルールをある程度作らないとどうすればいいのかわからない.「自分でルールを作れるようになるため」にはどうするべきか.その考えをできるだけ論理的に展開したいと思う.あくまで個人的な順位付け,絵に求めているものなのでその点に注意していただきたい.とくにこれといった参考文献があるわけでもないので,そういう視点があるという軽い気持ちで読んでもらえるとよいかと.そしていつか迷い・悩んだときに,答えを導出するための判断材料となれば幸いだ.
まず,以下の憂慮すべきポイントを考えて,その後に一般的な答えを提示したいと思う.時間がないなら結論だけでも見て行ってもらえればうれしい限りです.
憂慮すべきポイント
①質と量
②向上心と向上,模倣とデッサン
③上手,下手とレーシング,上達のスピード
④面倒に対する回答
⑤絵はあくまでインターフェースである
「絵は基本的に面倒でやらなくてもいいものである」これを認めて展開していく.
①質と量
絵を描いていく上で悩まされることになる問題.質と量は時間とトレードオフの関係にある.そのため,質をとることは時間のかかることであり,時に面倒であるといえる.しかしある一つの質は繰り返すうちに要する時間が減っていく.そうすると今まで考えなかった質に気づき,新しい質を求めることの面倒さを小さくすることができる.そうして振り返ると絵はいつの間にかうまくなっているものである.例えばうまい絵描きさんの落書きはレベルが高いですが,これは今まで面倒であったことが面倒でなくなったことによるものがファクターの一つといえる.そうして面倒でなくなった数が多いほどに落書きの質が上がる.量を取ることは一概に悪いこととは言い切れない.漫画を描きたいと思っている人なら量を描くスキルも必要である.そのスキルを身に着けるためにはやはり量を描くしかないのだ.量を描くことは質を質として考慮しなくてもよくする筋トレのようなものである.重要なのはその配分をどういう理由でどういう配分にするか意識することだ.量だけを取っていると質を上げることはできないし,その逆も言える.ただ,技術的うまさを求めるならば質を求めるほうが良い.多くの場合,量は書いているだけで一定量は確保されるが,質は意識的に求めないと手に入らないからだ.特に制限のない条件の下でこのトレードオフを考えるとき,私は一つのサイン・判断基準として面倒さを用いている.面倒さと質を天秤にかける.ここの本質的な問いかけは「絵がうまくなりたいか,うまくなくてもいいけど楽に絵を描いていたいか」である.なぜ面倒さが上達につながるかは後で説明することにして,このプロセスを通して楽な方を取るとき,その時は危険信号である.なぜなら「絵は面倒でやらなくてもいいものである」からである.職業ならばいざ知らず,義務感で絵を描くことになっていることは異常だ.逆説的にそのような精神状態にあることが言える.逆説的に精神が健康なときは上達しようと考えるべきだ.
②向上心と向上,模倣とデッサン
人は生まれながらに向上心を抱えた生き物だ.だから文明は発達した.向上心はあらかじめ人間の根底に備わったものであるが,環境や境遇でそれをうまく発揮できない場合がある.絵を描くことは向上心に対してまっすぐに向き合うことでもある.先程「面倒さは上達につながる」と述べたが,これに対して回答する.面倒くさいということは裏を返せば自分にとって何か不都合が含まれているということだ.その不都合は絵の上達には関係のないことも含まれるが(量を描いた結果,質を描くために要する時間が最適化された.最適化されたものを描くのは面倒である.など),しかし多くの場合は自分が思ったものの通りに描けないフラストレーションが原因だと考えられる.向上に関して重要になるもう一つのポイントは,比較だ.その対象は自分でルールを作れるようになるまでは周囲と比較でよいと思う.周囲と比較してなにを得るのか.それは自分に足りないものを周囲から見つけることだ.しかし,今から絵を始めるとなると問題になるのが自分には何もないので比較しようがない.という問題だ.それを解決するのが模倣とデッサンである.簡単に言い換えると模倣は試験勉強のようなもので,デッサンは運転免許を取るようなものだ.模倣は少なくとも3つ,それも全くことなるもので行えばよいと思う.多すぎると逆にオリジナリティを出すときの迷いになるので注意が必要だと思う.模倣をすることでその技術をそのまま使ったり,使わなかったりする判断ができるようになると考えている.そういう過程を繰り返すうちに自分のオリジナリティが確立されていくと確信している.デッサンをすることは絵の基本を感覚で学ぶことである.デッサンは現実にあるもののありのままを絵の上に描写することである,物の輪郭をとらえたり,色味をとらえたり,線の引き方などを学習できる.そうすることで描きたい絵を描くときに余計な心配をあらかじめ避けることができる.質の矛先を本当に描写したいものに向けるための助けになる.そうして比較の仕方や描き方がわかってくると,次は自身との比較をする.質を求める際には,正確な自身の分析が必要になる.過去の自分には何が足りなくて,何が必要か.何を否定すべきで,何が正しいのか.その答えは移り変わっていきますが,その正しさの変化こそが自分の向上の証明である.また,その足跡こそが絵の面白味の一つである.
③上手,下手とレーシング,上達のスピード
上手と下手というのは議論するだけ無駄であるが,駄作(≒下手)は確かに存在している.あくまで私個人の見解ではあるが,駄作とは向上心がなく,一枚の絵の中で正しさに矛盾が生じているものである.要するに,結論のない,迷いのある絵のことだ.そこに他者が介入することはなく,あくまでも自分との闘いであることに注意していただきたい.しかし,はじめのうちは他者からの評価がモチベーションである人が多いように感じる.また,自分の中だけの正しさを持つことも大事ではあるが,自分の絵を理解してもらうためのコミュニケーションをとることも重要である.それらの手段の一つとしてレーシングの絵がある.レーシングの絵はわかりやすくて,美しく,流行がある.わかりやすい絵を描いたり,美麗に感じる色味を扱ったり,流行を汲んだ絵を勉強することもまた一つの面白さである.それも向上心の形として存在していることを知っておくこともよいだろう.しかし,レーシングの絵において周囲からの評価と向上心を混在させることはよくない.レーシングの絵は評価されやすいジャンルや,その時々の流行り,その人自身に対する評価,運などのファクターがあり,それに対して期待するとどこかで期待とのギャップが生じる.評価されたら,今度はより大きな評価を求めるほうに力が働く.そしてどこかで打ち止めになったときに,落胆することになる.なので,よりフラット・慎重にレーシングの絵と向き合う必要があるだろう.上達のスピードが正義であるかのような考えを見かけることがある.上達することは確かに重要である.しかし上達のスピードには様々なファクターが存在していることを忘れてはいけない.例えば絵に関わる趣味(写真撮影など)を持っている人は当然上達のスピードが早いし,仕事などで時間を取れない人は成長が緩やかになる.時間をかけてゆっくり成長して,最終的に素晴らしいイラストを描けるようになればいいのだ.それも一つの選択肢として存在している.その選択を決めるのはあなた自身の目的意識である.当然職業として絵を描くならば,時間をかけてはいけない.最短距離を目指すべきだ.
④面倒に対する回答
絵をやっていくうちにぼんやりと面倒であると感じることがあるかもしれない.それの原因にはモチベーションと既視感があると考えている.モチベーションについては次項で説明することにして,ここでは既視感の解消を取り上げたい.既視感を解消する方法は今までの道のりを明確にリストアップすると解消できる.既視感の本質的な問題は,いつか来た道であるかどうかではなく,ぼんやりとして明確な判断が下せていないところにあると考えている.またリストを作ることで今までやったことのないものを取り扱うきっかけになるので良いかと思う.
⑤絵はあくまでインターフェースである
絵は自分自身の体験のインターフェースである.体験を表現する言語の形である.そこから,モチベーションに対する答えが出せる.絵のやる気(モチベーション)がなくなったとき,精神的に健康であるならば内に秘めた体験・自分自身の思想の変化がなくなっているときだ.自分自身に貯蓄がないから吐き出すモチベーションを得ることがかなわない.であるから,自分自身が描く物語(人生)のなかでいろんなところに目をつけたり,今まで挑戦しなかったことを始めてみたりするといい.そうすると自分自身に貯蓄がたまっていき吐き出すモチベーションが増幅する.それだけではなく,人生経験は絵の深みをより高めるものであると考えている.先ほど絵以外の趣味が絵の上達に関係していると言ったように,人生経験を絵のスキルの種にすることも可能である.
結論
- 絵のみならず,すべての事象について明確化を行うことが重要.
- 絵の上達に打ち止めを感じたら絵から離れてインプットを行うとよい.
あとがき
ここに記したことはとても当然なことです.しかし,そんな当然なことに気づくためにとても長い時間を使っていました.そして,このことに気づけたのは絵を続けてきたから.何度も逃げたけど最終的に向き合うことができたから出せた結論だと思います.絵は難しいですが,何年もの間,自分自身と向き合うために支えてくれた頼れる味方でもあります.そんな絵をぜひ始めてみてはいかかでしょうか.