●イントロダクション
私はいわゆるアスペルガー(自閉症)で、コミュ障である。喋ろうと思ったときに脳の中で言葉が渦巻いて、発することができない。あるいは発しながら考えてしまうためになにを喋っているのかがわからなくなることがしばしばある。これらを解決する方法は簡単で、それは軸を作ることである。軸を作るとはすなわち、受け答えを用意しておくことである。そんなことを言っても日常生活で話されることは様々であるし、用意しきれないと思うだろう。それについても簡単な答えがある。それは答えないことである。つまり適当に流すなり、頷くなり、話を変えるなりすることで回避するのである。そして後で答えることができるように、その問を記憶して答えを用意するのである。また、ニュースを幅広く見ることもよいだろう。日常生活で発生しうる答えにくい問は、ニュースか学術に関することか恋バナくらいだ。学術に関しては答えることができなかったとしても嫌悪感は抱かれることがないだろう。恋バナは再現性がないと一蹴されるものだ。であるからひとまずニュースで情報収集を行うことが戦略的コミュニケーションへの第一歩だ。
●問題意識
あなたは何のために会話をしたいのであろうか。会話を改善したいと思っているならば、何らかの動機があるはずである。はたしてその動機はほかの人間のそれと異なるものなのだろうか。
コミュニケーションとは情報の伝達である。情報の移動に価値があり、情報を伝えることで利益を大きくしたり、情報を要求して利益を獲得したり、情報をシェアして優越感を満たしたりする。あるいは、その前段階としてのコミュニケーションや、会話をすることによってセロトニンを作ることが感覚的に気持ちいいと感じる人もいるかもしれない。いずれにおいても情報の移動が行われる。
コミュニケーション力を鍛えることはもはや避けて通ることはできない。個の時代などというが、それはダイバーシティーの話だ。社会ではより大きなプロジェクトを動かし、成功させなければならない。実際に、企業はコミュニケーションのできる人材を求めている(1)。
●問題解決 ①コミュニケーションのルールを把握する
コミュニケーションにはいくつかのルールがあり、それを守ることにより程度上達する。それらのルールは情報伝達の定型文であり、情報伝達をよりノイズレスで行うためのものであり、即効性がある。そのうえで根本的な解決をゆっくりとしていくと良い。根本的な問題の解決は時間のかかるものであるからだ。
コミュニケーションはキャッチボールで例えられることがよくあるように、相手が居て初めて成立するものだ。相手がいる安心感こそがコミュニケーションの目的・良さでもある。そして相手のことを考えないものはもはやコミュニケーションではない。情報の氾濫が起きている現代においてはより一層不必要な情報はストレスとされ、拒絶される。スケベ心を隠して、相手が満足しているときに話したいことを話そう。
また、相手が欲しい情報を欲しい形で与えることが重要である。
まずは相手のコミュニケーションの欲求のタイプを判別すると良い。
①目的意識があるか
②喋りたい気持ちが強いか
この二つの軸でマトリックスを作り、それに合わせた対処をベースに会話をするとまとまりがいい。
これに相手の性格や、反応を見ることで細かく調整する。
A:目的あり、喋りたい
相手は意見を求めている。脳を借りたいと思っている。
基本的に聞き手でいる。反論や意見が不快に取られにくい。
黙り込むと不快に感じられるので、相手の喋り終わった隙間を埋めるように喋る。
B:目的なし、喋りたい
相手はただ発作的に喋りたいと思っている。
聞き手に徹する。相槌を打つだけでも成立する。
生返事は不快に取られるので、相槌のバリエーションを用意しておく。
C:目的あり、喋りたくない
相手は何か喋りたいことがあるが、その内容がつまらないと思っている。
相手から話を聞きだすように喋る。意見を求めることで助走をつける。
自分が喋りすぎると相手は喋りづらく、閉口するので、喋り終わった後に空白を作る。
D:目的なし、喋りたくない
相手は会話を求めていない。
そもそも会話をする必要がない。意見を求めない世間話や、一方的な自分語りが適切。
相手の喋る意思を確認するように行う。
胸襟を開いた友人ならいざ知れず、初対面の場合の方がこれを考える機会が多いはずだから、いずれの場合においてもまずは肩慣らし代わりの会話を用意しておくと良いだろう。
●問題解決 ②コミュニケーションに関する疑問
共感は本当に必要であるか?共感の本性は相手のほしい情報である。つまり便利ツールである。共感は便利ツールのため、一般的に使うことができる。会話の肩慣らしとして運用することができるが、なくてはならないものでもない。
マウントしてはいけないのか?無意識にマウントが発生するのではなく、マウントは相手が抱く幻想である。マウントは避けるに越したことはないが、必ず発生しうるものだと知っておくと気が楽になる。同時に、相手のマウントに対しても寛容になることができる。
メラビアンの法則にもあるように、時に論理性だけでなく、ボディランゲージや感情で訴える必要がある。相手は思っている以上に話を聞いていないと思ってよい。恋人でもない限り基本的に相手の話には興味を持たないし、誰だって自分の話をしたい。いわゆる肉体言語は聞いていない相手に対しても伝わりやすい。
IQが20離れると会話が成立しないという説があるが、それのバックグラウンドにあるものは何であるか。それは語彙空間と予測だと思われる。例えば、全く新しい分野の本を手に取ったとする。その本に記されている単語がほとんどわからない状態で読み進めることは、多くの場合楽しいものではない。また全く分かり切った内容の本は、読んでいるうちに結末の予測をすることができる。これを会話に適応すると、喋る単語が伝わらないことが嫌悪感につながり、全く生産性のない言葉が嫌悪感につながっていると言える。言語を覚えるときに国際恋愛が推奨されるように、その嫌悪感は紛らわすことができるものといえる。その程度と言えばそこまでであるが、逆に言うと語彙のギャップを埋めるためには恋人と同程度の友情関係が必要とされている。
会話で相手に対してなすべきことはなにか?相手になにも与える必要はない。相手は与えられることを基本的に拒まずとも望んでいない。相手に与える必要があるときは、相手が望んでいるときだけだ。しかし、忖度は非常に効果的だ。言葉を介さない場合はまた別のルールが試行されている。忖度についてはまた別の機会で話をしたい。
●問題解決 ③根本的な原因の改善
なんだかよくわからないけど上手く喋れない。という人はたまに見かける。喋る前に一度文章を練り上げる練習をしてみると良い。喋るという行為は文章を作り、それを発する行為である。つまり非常に高度な技術である。うまく喋ることができない人はおおよそ文章をうまく作ることができない。もちろんそれがすべてではなく、会話独自の技術があるのは事実だ。しかし、毎度のごとく口を酸っぱくして言っているように、全ては基礎から始まるのだ。基礎(構文)のないうえに応用(会話)はないのである。しかし、ここで疑問に思うことはなぜ構文の技術に差がついたのかである。その理由も簡単である。構文を知らないか、あるいは量の問題である。寡黙な人間ほど喋る機会が減っていく。つまり構文を磨く機会を失っているのだ。そしてコミュニケーションに悩みを抱えている人のほとんどの場合がこの悪循環の中にいるであろう。なぜなら、愚か者は自身を愚か者であることを知らないからである(構文を知らない人は構文を知らないことに気付かず、上手であると錯覚している)。しかし、少なくともこの文章を読んでいる皆様においては自覚があるに違いない。であるので、文章を書く機会を作ろう。
そこでお勧めしたいのがブログである。まず、ブログには閲覧者(聞き手)がいる。聞き手がいることで、疑似的に会話を行うことができる。さらに、会話のようにハイテンポで進むことはない。であるから文章を作ることに集中することができる。
次に、会話で使うことのできる話題をストックすることができる。私の場合、会話をしている間は基本的に緊張が続いている。しかし、ブログに書き留めておいたことが話題に上がるとすらすらと喋ることができ、緊張がいくらかましになる。基本的に会話は考えておいたものを使いやすくアレンジしてアウトプットするものであるから、その種を作る助けになるのだ。
次に、ブログの人気は閲覧者が求めていることに対して真摯に向き合うことで得られたものである。例えば、求めているものを知るためにキーワードを選定したり、マーケティングを行ったりする。これは全て相手を気持ちよくするための寛大な行為である。そこに金銭が絡んでいたとしても、その行為自体は事実である。自分の喋りたいことを書いても全くブログが伸びないのである(……まるで自分のことのように)。閲覧稼ぎをしたくないという変なプライドを持っている人がいるかもしれないが、あなたの会話を上達させるためという名目ならやれる気がしてこないだろうか?そして、それらを始めると興味がわきやすいトピックが可視化できる。それによってマトリックスでのC・Dタイプと会話するときの肩慣らしとして使うことができる。
最後に、論理的な文章を作ることができる。論理的な文章は日常的な会話では無用だが、ビジネスにおいて自分の価値をアピールするために使う会話は論理的である必要がある。論理的であるから相手に伝えることができるのである。相手としても、間違いがあってはならないから、評価をする際に文間を読んではいけないのである。
そのほかにもブログはアウトプットの機会に使うことができたり、情報を一度吐き出すことで別のことを考えるリソースを確保したりできる。はてなブログなど無料で始めることができるサイトはいくらかある。まずは始めてみるといい。
そして、私は会話をさらに上達させるためにたった今、「シナリオセンター」でシナリオライターとしての道を切り開いている。シナリオライティングは会話の究極だと感じる。それだけではなく、やりがいがあって非常に面白い。それについてはまた別の機会で書こうと思う。
参考
(1)http://www.keidanren.or.jp/policy/2018/110.pdf