私は背景を描けないことの意味を理解していなかった
背景が書けない。そう思う方は山のように存在していると思う。かくいう私もそうである。なんとか脱却しようにも根本的な捉え方を間違っているように思ってきた。闇雲に資料を集めたらそれはそれでうまくなるに違いない。しかし、そういう話ではない。
最近脚本作業をやってて気づいたのだが、絵をイメージしながらそこに向かうように話を転がすとうまく書ける。ターゲットとして絵を選択するライティングである。宮崎駿さんが絵コンテから話を作るという例があるように、絵から話を作ると想像力を掻き立てられてよい。しかし、よく考えてみるといざ絵を描こうとすると描けないし、背景を決められないことの方が多いように思った。このパラドックスのようなものは一体何が原因か。その原因は明確な決定事項が存在しているか否かである。その明確な決定事項が印象的なシーンを選んでくれる。明確な決定事項とは、柱である。もっと細かくいうと、いつか?どこか?である。印象的なシーンを描くにあたって(特にドラマに関して)時間要素は欠かせない。なぜなら決定的な時間を切り取ることこそがドラマの目指すところの一つである。ここで絵に水平思考する。絵も同様に決定的な瞬間を切り取ることこそが目標である。その傾向は変化まで描くドラマと違いより一層強まる。イラストも同様にいつどこを追求すべきである。それこそが背景の描けない決定的な理由であると確信している。そして、耳寄りな情報を付け加える。柱を決めるために必要なスキルはほぼ存在しない!なのでやらないだけ損するものだと思ってよい。ドラマは前後関係が存在するので制限されるが、イラストに関してはその制約を受けにくい。数少ない難点を上げるのならばそこだ。いっそのことドラマを一から構成するのも一つの手ではある。

ただ決定瞬間を決めればいいわけでもなく、より良い絵を目指すのならば前後情報も書き記すべきだ。しかし、それを絵に反映させるかどうかは別問題である。ここで重要なのは切り取る感覚を身に着けることである。そもそも我々はフィクションであれ、そうでなくても時間を切り取っている。しかしどうだろう、それは本当に切り取られたものなのだろうか?切り取る感覚で制作していないのであればこれは全く該当しない話かもしれない。背景も息をしているし、定点ではない。再度言う、ある時間帯の中から切り取り選ぶべきだ。それはベストな瞬間を追求するためになされる行為だ。時間がないなら脚本とにらめっこすればいい。一つのシーンは大体原稿用紙2枚に収まる。これは30分も必要としない分量である。それに対して存在しているかさえも、ベストな瞬間であるかも感覚的なものに任せきって時間を浪費するのはどうなのだろうか。遠回りで億劫に感じることが結果的には近道なのだ。そこまで行ったとき、はじめて壁打ちのように感じていた背景の情報が生きるのである。そこに到達して初めて背景を書けない感覚を真摯に受け止めることができた。
これはあくまで私自身の脳構造で出した現時点の結論であるし、アートのための普遍的政策体系とは言い難い。が、個人が仕事として書く絵としてはかなりコスパがよいのではないだろうか?実際の現場は脚本から川下に降りていく制作体系であるし、それなりの根拠はある。まつべこべ言っているものの大した背景を描けないのでもっと精進する……。

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