メモヒスから「Memories Off」シリーズに入って、上巻とInnocent Filleをプレーしました。長い旅だった。その旅では非常に充実した日々を過ごせた。軽くメモをとりながらプレーしていたけれど、学ぶことのできる部分が沢山ありました。そして、萌えの表現がどのようにされているかの言語化ができると思ったので筆を執った次第であります。
萌えの研究
萌えとは
萌えるという言葉は山並みに対して言うことがある。それに置いては草木の芽が出るようなことを指す。また、一般的に自分ではない何かに執着心や情熱、欲望を抱くことを意味する。
萌え文化における萌えとはなにか
萌え=カワイイか……。いいや、そんなことはない。私はカワイイの中に萌えがあるのであって萌え=カワイイとしてしまうのは暴力的だと思う。一般的に使われるカワイイとはアトラクトなものであって、それに対して萌えは自然を見るような行為です。萌えはカワイイから遠いものと思った方が、萌えに取り組む際には都合がいいです。なぜか?萌えは直感的なものではなく、時間的で内面的なものだからです。部分的に萌えがカワイイに含まれるのは、萌えを感じた時に好きになり、後天的にカワイイを感じるからです。
萌えの原点は素描にある
萌えとは、デッサンです。そこからデフォルメすることで、人口に膾炙する理想を作りあげます。それを忘れてはいけないと思います。また、素描であるから、シナリオから独立したものです。萌えのシナリオは読者を引き付けるためにあるのであって(単に描きやすくするためでもあるが)、それで萌えを描くことは難しい。き〇ら系のキャラクターにありがちなものとして、デフォルメを繰り返すことで下流の石のようなキャラを作ってしまう現象を目にします。デフォルメにデフォルメを重ねてしまうと、シナリオと食べ合わせが悪い、床から足が浮いた舞台装置が出来上がります。
萌えとフェチを草分けできないとくだらないキャラになる
イラストレーターによく見ますが、萌えとフェチを混同している方を見かけます。フェチで萌えを見せようとする方のことです。それは非生産的なものだと私は思います。例えば、言動であったり、服装であったり、状況を見せることで、萌えを想起させています。それは萌えの文脈――とりわけフェチな分野の歴史に依存した寄生虫のようなものです。イラストレーションはアトラクトに関しては軍配が上がりますが、萌えを再現することは無理です。もちろんアニメーションであったり、漫画であれば可能だとは思います。しかし、文章に換算すると20~40文字程度を10秒のショットに引き延ばすようなものです。洋画ならば、そのような表現は評価されるかもしれませんが、とりわけ日本産の地味めな映像に関しては素描を、セリフを磨く方が面白さに貢献すると思います(決して日本の映画をディスってる訳ではなく、むしろ私は言葉の美しさは外国の映画よりも日本の方が優れていると思う)。萌えとフェチを混合するとどうなるか。フェチから萌えを考えたり、萌えからフェチを考えようとしてしまう。実際はそうではないです。フェチと萌えはそれぞれ独立したものです。例えば、黒髪ロングから委員長や凛としたキャラクターを想起したのならそれは大きな勘違いです。確かにそのような傾向はあるかもしれませんが、そのような記号でキャラを作ることは悪しき風習です。「記号を提示させて内面はそうではない」のようなキャラクターも見かけますが、それは萌えではなくシナリオです。萌えはシナリオが作る期待の裏切りではなく繊細な観察眼から作り上げられます。

キャラクター設定の基本にも立脚している。
萌えは基本を押さえたうえでの応用分野だと思います。萌えは基本的にデッサンですが、強調することで普通のキャラからより萌えるキャラへと変身します。強調するべき箇所は言動ではなく、内面的なものです。1つ目は二面性。二面性をはっきり描くことでどういう人物を見せたいのかを分からせます。読者は文脈から美少女のことをあれこれ考えています。だからこそ、想像しやすい状態であるべきです。また、二面性があることで機械的なもの・記号ではないと思わせ、温かみを感じさせる効果があると思います。2つ目は履歴。特に性格・境遇・思想をはっきりさせましょう。これらをはっきりさせるということは、サバサバさせるという意味ではなく、どういった性格なのかを読者側にはっきりとさせるという意味です。「○○のような性格」では不足していて、「このような状況下に置かれたらこのような考えを持ち、その中からこれを選ぶ」まで伝えなくてはいけないです。筆者側が理解するだけであればいつものことでしょうが、読者に伝えるということがポイントです。なので、そのような状況を沢山作ることが萌えを作る上で重要になってくると思います。また、あまりにも伝えるのが難しい場合は、美少女側の視点を使うのもいいと思います(基本的に禁則ですが)。3つ目は動作です。動作はアトラクトなものですが、それでいて繊細です。動作はアトラクトな描写でない方がいいと思います。つまり、この人物だからこそそうしたと思わせないといけない。常日頃の言動に対しては抑えめに描写し、ここぞの場面で使うといいと思います。例えば、ヒロインが揺れ動いているとき・ヒロインが悩んでいるとき・ヒロインが心の底から喜んでいるときなど。つまり、イラスト(スチル)を入れたくなるような場面のことを指します。イラストがあると描写は控えめの方がいいとは思いますが、繊細な動きこそ文章で描くべきです。映像の場合だと、それはわかりやすいト書きになり、結局ショット依存になってしまいますが……。
萌えを描くための2つの柱
おなじみの場所と特別な場所を作りましょう。おなじみの場所は、ヒロインの変化の経過を明確にわからせます。例えば出会いの場所がおなじみの場所になったとすれば、そこに集合するたびに出会いの瞬間が想起されるでしょう。特別な場所を作ると、そこでヒロインが変わるということの予告になります。つまり、読者は緊張し、集中して変化を見届けることになります。
萌えの胃袋を掴む最終奥義
それはヒロインに「好き」と言わせることです。読者がある程度の好意を持っていれば、読者は恋に落ちます。しかし、安易に好きだと言わせるのはダメです。ダムを決壊させるように告白させることでカタルシスが生まれると思います。
ギャルゲーのススメ
何事でも本場で勉強するのが早いです。萌えの研究も、本場で勉強するのが一番です。ですから、ギャルゲーをやりましょう。ギャルゲーをやりましょう。萌えが何たるかをしりたい方には、神のみぞ知るセカイをおすすめします。
ギャルゲーをやる意義
ギャルゲーはシナリオも楽しいと思いますが、やはり素描を見ることに勝るものはない。シナリオの上に乗った性格というものは、ある意味で量産的な人間だと思います。シナリオの上にある性格は予定調和であり、それは最終的にパターン化されたものに帰結します。人間は果たしてそんなものなのか?いいや、人間はもっと多様なものです。確かに、表面的なものだけを取り上げると同じように見えるかもしれません。しかし、すべての人が過ごしてきた時間が作る多様性は私たちが思っている以上に違いを作っているに決まっています。語彙も違いますし、好きなものも違いますし、考え方も性格も全く同じではありません。そういうものを眺めるのは、自然を見ることと何ら変わりがないです。そういう気持ちで私はギャルゲーに手を染めてほしい。確かに、シナリオの質が悪かったり、ノリがきつかったり、ギャグは寒いかもしれない。しかし、しかしだ。自然はいつでも私たちに優しかったか?日本人なら身に染みてわかるはずだ。いいや、そんなことはないのだと。それと同じなのである。
私がギャルゲーを好きになる理由
女の子が身近にいない生活を強いられ精神がかなりヤバくなってしまったので、ギャルゲーはその心を癒してくれる。失っていた・あるはずだった青春の時間を取り戻すような感覚です。実際の女の子ほどめんどくさくもなく、登場人物は全て理想的な美少女です(絵柄は知らない。内面的な意味で)。また、僕は人間観察が好きなので、ギャルゲーは性に合っています。ギャルゲーは美少女ゲームですが、男性キャラクターも魅力的だったりします。なぜそんなことが好きかというと、豊かさを育てるためでしたね。
豊かさで恒久的な幸せを獲得する – beefst interlude (beef-st.com)
ギャルゲーはタイムマネジメントに優れています。ギャルゲー1本を完全クリアするのに大体20時間あれば事足ります。一方、私は戦術ゲーム・タワーディフェンスが大好きですが、それは人間をダメするまで遊ばせます。100時間くらい溶けることはよくあることなので気にしたら負けなんだと思います。しかし私は最近忙しいので、やっぱり時間が気になってしまう。ならゲームをやるなという話になりますが、(禁欲的な生活をしているだけあって)最低限の娯楽がないと生きていけないです。そんな中でのギャルゲーという組み込みやすい娯楽は光明でしかなかったのです。
行こう。理想の伴侶探しの旅へ。……なんつって。
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