労働について考える【就活アドバイス】

 以前、豊かさを追い求める上で、将来の仕事はどうあるべきかを考えることは避けて通ることはできないことを明らかにした。

豊かさで恒久的な幸せを獲得する – beefst interlude (beef-st.com)


 私の定義する地域の豊かさのためには、自らの従事する仕事を減らす方向に取り組むべきだが、それでは限定的な話になり、実装が現実的でなくなっていく。それよりもまだ仕事に就いていない学生に向けて幸福な仕事とはなにかを考えることにしたい。幸福な仕事を考えるうえで重要なポイントは「労働時間」「転職力」である。今回はそのポイントに絞って考えることにする。

労働時間

 豊かさを実現するためには労働時間を減らすことが条件であるとしたが、ここではそうではなく、与えられた労働時間をどのように過ごすかという点にフォーカスを当てていく。また、不幸にならない労働の条件を明らかにしていく。それは、これを読んでいる就活生に対するアドバイスでもある。

時間の奴隷
 ヒルティの幸福論によると幸福になるためには「人生の中で一番長く使う時間を幸せに過ごすこと」が大切であるという。そのために、労働時間を、仕事をしている時間を幸福にしなくてはならない。それについて考えた時に浮かび上がるポイントは「時間の奴隷」にならないこと。結論を言うと、働きたいと思って働かなくてはいけないということだ。ほとんどの人が労働をしなくては生きていけない。なので私たちはお金のために働いている。そうして時間の奴隷に陥っていくのである。例えば、残業には残業手当がある。手当をもらうことでより多くの給料を得ることができる。そのため、一昔前までは残業を好んで選択する人もいたのだ。最近は残業しないような企業方針を取るところが増えているようだが、結局それも業種によりけりだ。工業に関して言えば大企業はかなりそこら辺にシビアになっている。しかし、建築やドライバーなどはその限りではないだろう。残業を悪と言う気はないが、毎日のように残業がある仕事には近づかない方がよいだろう。

創造的であること
 人間は創造性の中に幸福を見出す。創作をする人にとっては常識だが、「制限が創造性を高める」という言葉がある。この制限とはまさに仕事のことではなかろうか?創作だが、これはくだらないものである。くだらないものであるが、同時になぜかわからないが楽しいものである。根源的な欲求なのである。この感覚は多分創作をしている人にしかわからないと思う。そうして考えるとあらゆる点において創作と仕事は似ているのである。ただし、この時、前述したようにやらされている仕事であってはならない。やらされる創作ほど興味を持てないものはない。とにかく、与えられた仕事という条件の中で、自分はどのように取り組むのかを検討していくことで、仕事の中で幸福を得ることができる。裏を返すと、仕事で幸福を得たいのであれば、自分はどのように取り組むのかを検討することができない仕事には近づいてはならないのである。

評価
 自分が活躍できる仕事……などと就職情報などで目にすることがあるが、そのようなポジションに配属されるためには少なからず誰からか評価を受けることになる。自分自身に実力がないのならば、それは知った話ではないが、実力があるのにも関わらず評価されないという話ならばいたたまれない気持ちになる。一橋大学大学院商学研究科の守島基博教授は評価の公正さには、3つのタイプがあるという。
 ①結果の公正性:評価の結果、それに基づく賃金の結果が、他の人と比べて公正である。
 ②手続きの公正性:評価が決まるプロセスが公正である。基準の明確さなども関係する。
 ③対人的な公正性:評価する人が、評価される人に公正な態度を取るということ。
 これらを吟味して会社を選ぶと良いだろう。手っ取り早くわかりやすい例を挙げるのならば、社員の幸せを考えている会社はこの点に関して問題ないかもしれない。評価がいかに社員の人生を左右するものであるかを人事部が理解しているからである。また、この手の会社はハラスメントのない会社でもある。ハラスメントのある会社は③に関して信用できないので、避けるべきである。また、そのような会社はおそらく仕事が楽しくない。

休暇
 会社を選ぶ際には初めに初任給、次に休日の数に目を移すくらいには私は重要な項目と思っている。有給取得率も忘れてはならない。ヨーロッパでは夏に仕事を忘れてバカンスを楽しむという。日本でもそこまで至らないにせよ、連休を取ることが可能かどうかは重要なことである。特に私の場合は創作に入ると一週間くらい没頭していたいので、連休が取れない(また、有給取得率が低い)会社は選択肢に入らなかった。つまり、完全に仕事を忘れる時間が必要ということである。一日二日休んだところでそれは長い普段の休日であり、睡眠と家事に費やされ、ついには休暇が終わるのである。そうであってはならない。ましてや、病気休暇が有給に当てられるなど言語道断である。

転職力

 日本は終身雇用という考え方が人時代前まではあったが、今はそうでもない(そもそも会社自体がなくなる可能性が十分にある)。なので、望む望まないに関わらず転職力が必要となる。

働き方
 働き方には以下の3通りのものがある。
 ①雇用:サラリーマンのような働き方
 ②請負:大工のような働き方
 ③委任:弁護士のような働き方
 一般的には①の雇用での働き方が多いと思う。多くの学生においては自分の専攻する業界に合わせて選ぶことになるだろうからこの項目に関して深く考えることはないかもしれない。ちなみに、委任は無償が原則であり、特約によって給料を得ることができるようだ。イラストレーターは無償依頼の問題がよく耳に入るが、最近はskebなどの活躍もあり、イラストレーター側の裁量で賃金を決めることができているので、いい傾向だと思う。

副業・パラレルキャリア
 転職の準備・出口として副業・パラレルキャリアがある。パラレルキャリアとは自分の本業とは別にその他の活動に従事することである。丁度、工業生の僕が絵とか音楽をやっていることが、パラレルキャリアに当たる。副業・パラレルキャリアの目的には金銭を得ることに加え、専門性を高めることがある。専門性を高めることによってのみ転職力を高めることができる。現在従事している仕事の中で、転職力を高めることは可能であるが、すべての仕事が転職力を高める訳でもない。また、そもそも現在自分がしている仕事が転職(希望)先の仕事に繋がっていないのであれば、副業ないしはパラレルキャリアを行うべきである。副業やパラレルキャリアは行ってよい会社とダメな会社がある。行ってよい会社を選ぶことで転職時の選択肢は広がるだろう。

IAAA
 「勤勉は美徳か?」のなかで、IAAの重要性を述べる項目がある。IAAとはinformation(情報)、analysis(分析)、action(行動)の頭文字を並べたもの。情報を分析して(あるいは委託して、)自分がアクションを起こすことを啓蒙する言葉である。それによって転職力が高まるという。私はそれで絵空事だと思う。appeal(訴える)で効果を発揮すると思う。私にとって代わる人などごまんといる。私である必要などない場合の方が多い。しかし、現実では自分を選ばせなくてはならない。選ぶ側にとって探す行為は基本的に面倒なことである。それは際限がないからだ。私たちはその網の中にさえ居ればいいのである。そのためにはただ行動を起こすだけでなく、それをappealすることが重要なのである。私はこれを軽視していたが、最近appealすることによる作用の強さを知った。能力のアピールをしたうえでお金がないと言えば、向こうから仕事が舞い降りてきたのだ。なので、これらを合わせてIAAAとするべきである。

私見:労働を出口から考える

 労働は必ずしも幸福な行為ではない。また、幸福な行為に変わったり、そうでなくなったりするものであると捉えるべきだと思う。ここで、例によってマズローの欲求5段階説を思い出していただきたい。労働は多くの場合、自己実現欲求としてポジショニングすることが多い。であるならば、その下の欲求をクリアしておけば少なくとも不幸な労働になりえないと私は思う。実際、私は就活において譲れないものとして衣食住に不安がないかを入念にリサーチした。それらをクリアして、下から順番に欲求を満たしていき、それでも仕事で幸福を感じることができないとする。その時に初めて純粋に仕事との相性が良くない・いい仕事でないと判断できたと言えるのではなかろうか?そうでない場合、あの発言にムシャクシャしただとか、悪いことが立て続けに起こっただとか、相関の無いものに相関を与え、従事する仕事を自ら見限ることになると思わないか?

そこはうさぎ小屋か?
 食事・性処理に関しては日本人はモチベーションが高いようなので(中からは気付かない人が多いみたいだが)、睡眠に関しての意見を展開したい。それを解釈しなおして、家についての話を進めることにする。「亭主元気で留守が良い」という言葉がある。これは大日本除虫菊株式会社の『タンスにゴン』のCMコピーから広がった言葉で、専業主婦が主流の時代に、夫は家にお金を入れてくれるだけでよく、家にいない方が妻にとって好都合、という意味である。その言葉から当時の主人には暮らしの中に豊さがなかったことを伺うことができるだろう(もっとも、この言葉は豊かな表現であるが)。今は果たしてどうなのか。最近は共働きが増えているという。共働きは2015年には64.6%、上昇傾向であるという。だから、上で示したような標語は昔の言葉となったわけだ。とはいったものの、いろんなケースがあるとはいえ、共働きによって家がより一層ベッドルームと化している感は否めない。スイスの教育者のペスタロッチは「部屋の力」「庭園の力」を力説しているという。極端な話、日本には団地がある。その団地はそれこそその標語が流行った時期くらいに大量に作られたものだが、利用者がどんどん減りその空き家が問題とされるほどとなった。近年はリノベーションすることでそれとなくおしゃれな雰囲気を醸し出しているが、家の持つ力はそんな上辺だけで解決できる問題ではないと思う。実際、団地から人が居なくなったのはその高くそびえたつ閉鎖的で牢獄のような施設の雰囲気ではないのだろうか?住宅は人格の一部である。住宅を画一化された格子の中に無理くりはめ込むことは人格の否定ではないか。延藤安弘は「住むとは、暮らしてみたいと思う生活様式を自由に育むために、人間と人間のあいだ、および人間と環境の間によき相互関係を創造することである」という。住宅は皆違うからこそ、ふれあいが発生するのではなかろうか?その牢獄によきふれあいはあるか?いいや、ない。それは団地が証明しているのである。なにも、豪邸に住みなさいと言っているわけではない。ただ、家とはただ寝て起きる場所ではないということだ。それ以外にもちょっとした幸福を感じる場所であるべきだ。

一軒家を買うためには実際のところどれくらいのお金が必要か?
 1000~4000万円が一般的な日本の相場らしい。また、年収の3~5倍くらいが妥当なラインだという。なので実際は2000~3000万円くらいの家を考える人が多いと思う。ただ、新築にこだわらなくても良いと思う。中古住宅に手を出して、リフォームをするのもいい手だと思う。中古住宅は1000~2000万円で広い家を散見できる。リフォームは大体1000万前後で行うことが多いという。また新築であれ中古であれ、都心部よりも郊外よりの方がすっきりとした印象を受ける。しかも割高。私は楽器のやれない家は論外だと考えているので、郊外を推したい。都心部や、いわゆるおしゃれを気取った方々の住む地域は家そのものが良いということもありますが、ただ高い。今回取り上げている問題はQOL、見てくれをよくしてほしいというわけではない。そもそも、そういう家を、薄っぺらいものを欲するものは買ったことに満足してさらに高い家を求めるのである。そうではなく、居心地のいい場所と環境を追求すべきであると言いたい。

貯蓄はどれくらい必要か
 私は貯蓄は推奨しない。なぜならお金は使って初めて意味のあるものになるからである。食費やら光熱費やら全てを差し引いても100万円あれば一年くらい十分に生きられると思う。その程度の貯金でいいと思う。それに加えて、目的に備えた貯金を蓄えるのであればそれは大いに結構なことだと思う。また、私はインフラに投資することを推奨したい。それは公共のインフラとかではなく、生活水準を上げるためのハードである。例えば私は楽器に投資している。これは家の中での暮らしを豊かにする投資であり、自らを高める効果もある。それの何が良いのかというと、飽きた時に売ることができるのである。つまり、インフラに投資することは次の投資のポテンシャルを下げる触媒のような効果があるのである。

参考

豊かさとは何か (岩波新書) | 暉峻 淑子 |本 | 通販 | Amazon

勤勉は美徳か? 幸福に働き、生きるヒント (光文社新書) | 大内 伸哉 |本 | 通販 | Amazon

投稿者: beefst

機械工学,クリエイターをしています.読書も好きです.

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