長くなるので結論から書く
(彼女づくり)失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した私は失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
概要
1~5年生の感想を昔はてなブログに書いてたので、それをブラッシュアップしつつ、専攻科までにあったことを書いていこうと思います。
長いようであっという間ですよ。7年間は。いいや、やっぱり長いです。僕の人生はほとんど高専に染められた状態となってます。別にそれが嫌というわけではないのだけれど、一般人と交わることのないタトゥーのようななにかを背負って生きている感じがする。もちろんそうでない人もいる。そういう人は外界との関わりを積極的に行ってきた結果だと思う。卒業した先輩としてなにか助言できることがあるとすれば、できるだけ外界との関わりを持ってほしいということ。インターネットはダメだよ。それではなく、同世代の普通の人間。中学生の時に友達がいなかったのなら、大学に進学してでも作ろうとしたほうがいい。そういう人間がいないと自分の状態を図る尺度がない状態になるのよ。社会人になったからその怖さを改めて感じているの。
一年生
例によって友達作り失敗。まったくできなかったわけじゃない。でも、自己開示することが恥ずかしいと思っていたから、自分の作った影で会話したりしていた。中学ですらまともに友達出来たの三年生だから……。僕に原因があるのだけれど、どのように改善すればいいのか、いつまでたってもわからない。ま、自己開示しましょう。自分の恥ずかしいと思ってることって、相手からしたらとっつきやすいから。話題は自分から作っていきましょう。
授業は正直一番ここがつらかった。っていうのも、中学生のときと比較して長い授業、僕の低いモチベーションっていう2要因に加えて、文系科目とかいう、当時興味のない科目がたくさん必修に存在するため。今となっては脚本まで視野に入れた制作をしているけど。人は変わるものですねぇ。
で、文系科目がダメダメだったというのもあるけれど、本質的には推薦での入学のため本気で勉強してこなかったことが悪い。学力自体そこまでない残念おつむだったのです。とは言え、全教科の内容はさほど難しいわけでもないので欠点は出ませんでした。このころは専攻科卒業時点の僕から見ると、そうとう勉強に熱心だったから、それの賜物だと思う。でもオール優は無理だった。専攻科含め最後まで取れず仕舞いです。
一年生は交流系のイベントごとがそこそこあるけど恋愛イベントはありません。いや、今思えばギリギリ恋愛イベントとしてカウントしてもよいことはいくつかあった。最後のほうとか、女性の存在しない世界だったわけだし。機械化には女子が一人しかいませんでした。その女性も3年生を最後にいなくなりました……。これだから機械科は。
二年生
部活に背の高い後輩が入ってきてとてもストレスを感じ始める。ここで結果を出さないと終わるって思ったから。同時に本気でバレーやり始めました。朝錬、学校、夕方の練習、朝練……のループ。暇があればバイト。結果夏までの数か月で結構うまくなりました。ジャンプサーブかなり極めた。僕は5年生までにジャンプサーブを打てるようにしたかったんです。だから1年生の時点では全く打てないし、暴発しまくってたから、かなりバッシングを受けてた。バッシングを受ける度にめちゃくちゃイラっとするのだけれど、急成長するのよ。理由はわからんけど、自分が強く思いを込めれば、できないことはない…スポーツはそんなスピリチュアルなものなんだと思う。ま、頭を使ってなかっただけ。だからテスト期間はさんだら精度がたがたになる。で、夏の大会で絶好調のわたくしを差し置いてタッパのあるボウイが使われる、ということが起きる。彼はのちにすごく上手くなるんですけど当時はそこまでだったんです。だのにドウシテ。結構ショックだった。成長性とかそういうのを含めて考えたら、当然の判断だし、今の僕なら多分同じようにする。でも、そんときの僕は気持ちを踏みにじられました。してやられたわーって感じ。身長主義のスポーツは二度とやるもんかと、思ってます。
僕みたいな弱者にとって平等な感じって、すごく心の支えになるんです。がんばったら報われる。そういう単純で分かりやすい論理に従って今も昔も生きてきたから。不平感を感じてしまうと、どこで頑張ればいいのかわかんなくなるんです。足元がぐらぐらなんです。
で、そんなやきもきとした心で日々を過ごしているわけですから、授業は無味乾燥だし、数学以外テキトーに流してました。まあ、英語くらいしっかりやってても良かったかなーと今では思います。成績の雲行きも怪しくなってきた。世界史で初めて欠点だした。なのに欠点が出たことになにも感じなかった自分がいる。なぜなら私よりもっとひどい人はたくさんいるのだから。なぜなら授業かつまらなかったから。なぜなら僕は部活で疲れているから。なぜなら……そういう甘えた考えがあった。のちにこの甘えた考えが…みたいな展開があるわけでもないですが、やはり勉強しとくべきだったかもしれないと、今思っている。勉強するとそれがどういう形であれそれが芽吹いたりするものだと知ったから。はるか遠い記憶だったとしても、インスピレーションはそういった種から生まれてくるものだと知ったから。
夏くらいにシンガポールに研修旅行(修学旅行)にいきました。結構楽しい。相変わらず自己開示できる友達はいなかったけど。観光楽しかった。チキンライスはスパイシーでおいしいし、高いところから見渡す景色はまるでゴミのようできれいだったし、アジア系の様々な町並みがあって、見ていて飽きないね。なんか一人で回ってるような気分だったけど、それはきっと気のせい。お土産買うのは楽しかった。渡したのは中学の時の友人。今でもつながりがあるけど、面白いやつらです。
でもまあ、できれば学校の中に友達ができればと思っていました。帰りの飛行機の中で泣いちゃいました。ボッチと閉所との相乗効果で、恐怖がこみ上げてきました。僕は基本的に話したいことしか話せない自己中心か聞き専なので、前者の場合相当なキモオタか変人でないと僕とは話せないですし、後者ならば気持ち悪いわたくしめと話したい、語り続けたいと思う変人である人である必要性があります。うーん。少しは治ったのだろうか。いまでもキモオタで変人だけれど、それを受け入れることが大事なのかもね。それを恥ずかしい思うからこそ、本当の自分を見せられないんだよね。
三年生
春のことです。人間関係がうまく構築できないことと、自分の無能さ(ずっとベンチであること・勉強のできなさ)にたいするストレスが爆発しました。ストレスはずっと臨海状態のままこらえていたけれど、ベンチから降ろされたときに、決壊しました。部活のレギュラーになれないだけならともかく、レギュラーから遠ざかっているとその時理解しました。つまり、無駄な努力を一年間続けていたとわかりました。一年間すべてを差し置いてバレーだけに努力できるくらいに思い入れ強かったから、とにかく辛かった。僕はなんでもできると思い込んでるし、実際人にできないことが結構できる。でも、型を身に着けるための実直なトレーニングと真摯に向き合ってこなかった。これだけでもレギュラーに入れない十分な理由足りえる。さらに、努力とオーバーワークをはき違えていた。そんときの僕にはそこまで考えられなかった。話を戻して、結構強いストレスだったもんで、痙攣が止まらんくなった。小学生の時にいじりを小ばかにしたら殴られて、なぜ殴られたのか、なぜ友達だと思っていたやつがそれに加担しているのかが理解できなかった時以来のこと。つまり、それくらいショックなことだった。人前で泣いてしまったのもかなり久しぶりだった。すべてどうでもよくなってしまった。自分の無力さを宣告されると(実感してしまうと)なんもやる気がでなくなっちゃう。自由に、自分の理想を描いているときが一番楽しい。
で、そんなこともあって、良くも悪くも自信過剰なところは削られて丸々としましたが、刃のようなストイックさはなくなってしまった。心のかけらは取り戻そうとしても案外戻ってこないもんです。それだけじゃなく、僕は後悔の多い人間だから、高専生活の間、この苦しみと向き合っていました。どこで選択を間違え、何が自分に変えることができたのか。そんな無意味な時間を寝る前に繰り返した。かくして自己否定にむしばまれた男が生まれ変わった。
でも一年間部活を続けてしまった。なぜ??パニックの時に判断を誤ることはよくあるけど、本当になんでかわからん。辛いことと向き合う方法は、疲れたら距離を心の栄養を回復して、元気になったら向き合う方法が最も後腐れがなくすぐれていると思います。時点にきっぱりとやめてしまうことがあげられるでしょう。どちらにせよ、しんどいことは無理して続ける必要はないよ。人生って、たくさんの可能性に満ちているから。
部活は続けましたが、現実逃避のために音楽に傾倒しました。今、音楽をやっているのはこの経験によって、音楽に対する信仰性が高まったから。もともと太鼓の達人というわりと有名どころのゲームにはまっていたのもあり、当時はじめたドラムめっちゃハマった。四六時中ドラムのことだけ考えてた。体を動かす系の楽器はアドレナリンがドバドバ出てくるので自己嫌悪とかそんなの関係なしに没頭できました。初ライブもこの年に参加しました。自分の存在が少しでも必要とされていると感じたから、とても充実感を得た。
そうそう、このライブを主催した某氏に励ましてもらった一幕の話をしましょう。
私たちのバレー部は遠征に強制連行させられていました。まるで奴隷のようです。バレーの遠征で退屈な試合で勉強しろと、正当化し、金払って遠征の付き合いをするとかいう意味不明な慣習があった。その時の私は、いわゆる勘違い系必死ちゃんだったので、風邪でせき込んでいたのにかかわらず参加したんです。その時に、せき込むことにたいして無能キャプテンに怒られて、心底ムカついて泣いてしまった。で、その先輩と愚痴を話してちょっと落ち着いたりする。なんて一幕がありました。
勉強は、部活がいやすぎてめっちゃやる気になった。人間って極めて相対的な存在で面白いよね。文系がほぼなくなったっていうのもあって(相対的に得意分野が増えた)、勉強に対するストレスとかはあまり感じなかった。三年生の授業から足の半分が大学の範囲に突入し、急に難しくなります。でも、数学は得意だったのでなんとか乗り切れた。微分方程式はマジで神の考えたものだと思っている。とても楽しい授業だった。線形性すごくね?
四年生
一番勉強が難しいシーズン。しかし部活を止めたゆえに時間が潤沢で、いままで使えなかった時間でめっちゃ勉強できて感激した。そのときはじめて5位になったんですけど割とあっさり取れてしまったもんだからこんなもんかって思い、勉強はそこからやる気ダウンした
あれです、部活のストレスが取れてその状態に慣れてしまったのです。そんな感じで落ちるところまで落ちていきます。一桁からの真ん中より下への下落。元居た場所に戻ったといったほうがいいかな。相次ぐ欠点終わらない再レポート、イラスト、演奏、エトセトラ、機械力学。ここで踏ん張っていたのがすごい。今はできないと思う。機械力学はマジで勉強嫌いになった原因でしかなくて、トラウマをえぐられた気分。あれはテストなんかじゃない。スポーツ。詳しいことは守秘義務的なアレで言えないですけど、いろいろあったんです。このころに書いてた絵はなんかしらんけどうまい。というか、このころを境に絵に思想を込めるということをやり始めました。それから2年くらいで人に見せれるような絵を描けるようになったと思う。ストレスは僕を強くするバフでもかけてるのか?人間って本質的にそういうものなのかもしれない。ストレスのダムは既に決壊してるから耐性などありませんので当然絵も勉強も続かないし、思うようにいかない。まだ部活のことも引きずってたので結構精神面はきつかった。しかし何とか進級成功しました。
だがしかし、出来て当然かなーって感じ。クラス全員進級したし、数学だけは最後までやれてたので。数学を応用した物理の問題です。力学って奴は。実際のところは逆で力学を理解して物理が分かるようになったのですが。今までのモヤのような知識の集合が急につながって、理解したんですよ。高専のカリキュラムってすげー(今のうちに高専に媚売っておく
この年から突然勉強が自発的なものになります。調べ学習ってやつです。深層で顕在化してたかもしれぬが、自分から学ぼうということを勉強に関してはあまりやってこなかったので結構これがつらい。そして突然始まるスピーチ系の課題。資料の作り方の授業とかは特にあるわけでもないので(ダメならその都度ダメ出しくらう感じ)、自分のできなさ、クラスメイトのうまさに打ちひしがれる。高専生は勉強は苦手でもそういうところで真価を発揮する人がいたりもして、みんな賢いなーって思います。そんなこんなで多角的な物差しで人を見ることが出来るようになれた。人を勝手なものさしで測るなんて傲慢だねぇ。人には良いとこ、悪いとこがあります。人の悪い部分だけを見て、その人を否定するのは、自分のことを完璧で優れた人間だと思い込んでいる阿呆ですよ。
五年生
機械科の5年生はボーナスステージというか、余暇です。
環境を変えたかったので、受験勉強はやりましたけど滑り止め受かって気が抜けた。そして本丸を逃した。ギター買ったりした(4年生の時にシンセキーボードを買っていたことも補足しておく)。日々バイト、演奏に明け暮れる。何も起きず、平穏で、幸せな日々。なんか、これでいいのかな?って思わせられて。これからの人生をどうしていくのか、設計図をもう一回考える機会となった。高専のこういうところが好き。そして、来る日も来る日も、また、ある日もスマブラ。
Ready? GO!!
もう耳に染み付いたわ。もはや飽きたわ。
ゲームばかりしててもしかたないと思ったので、また、時間もあるしいろいろ県内をめぐってみようと思いました。そして旅行の良さに気づきました。何気ない場所にすばらしいものがたくさんあるのだと気付きました。ちょっとした地形、生活感、自生しているもの、その場所で生活している生き物。如何に人間だけの生活に慣れてしまったのか。それに気づいたとき、ちょっとした恐怖を感じました。我々は人間である以前に生物なのに、どうしてこんなにも人間だけの空間で生きているのか。そうすれば、長生きできて、安全なのはそうなのだけれど。
卒研、大失敗する。先見の明がある程度あったので、早いうちから研究やってましたが、どうもうまくいきませんでした。て、こともあり高専生活では成功体験を全然味わってない。なので専攻科にいるときは結果にこだわるようになった。戦略、知識をかき集めている。
なんとか、残された大学2年内に結果を出します。あえて宣言しておく。
……↑のやつは5年生の時に書いたけれど、最終的にM3でそれなりの結果が出せてよかったね。それについては専攻科2年で詳しく。
専攻科1年
コロナが流行しはじめました。なんでこんなに人生がうまくまわらないのか、わからなかった。いままで積極的に話しかけることがなかったから、コミュニケーションの機会がどんどん少なくなって、人と喋るのがうまくできなくなった。夏頃にちょっと鬱っぽくなったけど、クラスメイトと喋ってSAN値を回復して、なんとかしのいだ。
10万円の給付金とかありましたね。それでパソコンを組みました。パソコンを組んで、音楽に真剣に向き合いはじめて、また、ブランド力をつけるために多角的に展開しながら深さを同時に身に着けていく、さらに発信まで行うということをしました。現在進行形でやっていることだけれど、タスクの規模でかすぎるよ……。具体的には、ブログをはじめたり、シナリオセンターに通ったり、本を買って情報を集めたり……。結構楽しかった。環境が整ったので、いい加減同人に取り組む決意を強くしました。
エロゲをはじめたりしました。純粋にエロのあるシナリオってどんなのだろか、と思ってね。実際のところ、エロがシナリオに対して効果的なのかというと肯定しかねる。エロシーンは定型文のようなものだし、思っていたのとはちょっと違った。でもシナリオはよかった。ひたすら内容の薄い会話文が続いて、少しづつ性格が彫刻されていくのがいいね。結構影響を受けた。でも、会話文の内容は濃いほうがいいと思います。
それ以外には特に進展がなかった。授業は退屈だし、基本は家の中での生活。音楽は楽しいけれど、本当に求めているものはコミュニケーション。そんなモヤモヤのなか、就活とM3への準備が進んでいきます。
専攻科2年
専攻科2年、まずは就活。あっさりと終わった。正直もうちょっと企業研究したほうがよかったなと思うけど、なんか終わったのでよし。
M3の前に就活を済ませてひとまず全力で向き合うことのできる状態は作ることができましたが、当然デスマーチになりました。ただただ忙しかった。M3の目的とか、計画はかなり綿密に設定した(つもり)。ブログと動画の連携と取り組みを見えるようにするためにブログでインフラを作成して、僕のことを知ってもらおうと思いました(ついでにブログの閲覧数が上がればもっとよろしい)。M3開催当日に東京に緊急事態宣言が出たので、その週はビクビクしながら登校しました。無事感染せず(M3参加者全体を含め)。
で、春のM3の結果はあまりよくありませんでした。なので、秋でちゃんと結果を出そうと、再挑戦。そのためには軍資金が必要です。専攻科1年の間は一切バイトをしておらず、バイトでためていたお金を切り崩して生活していました。なので、ストックはありません。でも、バイトをしすぎるとお金がなくなります。そんなジレンマをどうにかできるバイトをいろいろ探して、家庭教師がいいなという結論に。でも、コロナの影響か、家庭教師を求めているご家庭が全然いない。そんとき、M3に同伴してくれた友達の誘いを受けで塾でバイトを始めました。これがのちにトラブルの種になるのですが、それはまたあとで。また、派遣バイトもいろいろやりました!いままで飲食でのバイトだったので、こんなに楽でいいの?と思いながらお給金をいただいていました。ほんとに楽。とくに待機バイトはえぐい。待機中はタスク消化できるし、援軍要請が入ればそれはそれで給料になるからお得。とはいえコンスタントにお金を貯めることができて、しかも柔軟に対応してくれる飲食バイトの良さも再確認しました。待機バイトはいつもいい感じの条件のものがあるわけじゃないですから。
サウナブームが到来。コロナのおかげで旅行は自粛していましたが、サウナは比較的安心感があったので、いろんな場所に行きました。サウナ初回から整ったので、サウナセンスがあったのだと思う。サウナの魅力に取りつかれて月一くらいで行った。最近はもしかしたら体によくないのでは?と思っているよ。なんか頭がにぶいし……。でもサウナ飯がうまいからついつい行ってしまうね。
そんなこんなで、秋のM3の時期に。まずまずの曲数を作り、宣伝の体制を戦略的に整えた。その結果もあって、頒布数が5倍以上に伸びた。このことは僕のいままでのトラウマ、失敗など自信を失わせるすべてを払拭するには十分のこと。一か月くらい夢見心地だった。祝杯をあげました。飯がうまい。
で、問題が起きたクリスマス。初めて企業案件を受けました。同時に、重要書類の再提出を食らいました。また、論文の提出も差し迫っていました。この企業案件を蹴ったら、次がないと思っていたので、即OKしました。そして、年末は案件に注力しました。そのほかにも飲み会の調整をした。で、年が明け、案件はほぼ出せる状態になった。しかし、書類作成がなかなか思うようにいかない。そして突然研究室が変わったり、遠隔授業が始まったり、変化が激しくてパニックになっていく。で、塾バイトで遅刻、塾バイト待機中に緊急で書類の再提出要求が来て、仕事中に書類を優先したことで縁が切れる結果となりました。書類や論文、もちろん案件もうまくいきました。でも、完璧にすべては終わらなかったし、論文だって、自分で考えるのが嫌になってしまって、先生にかなり任せてしまいました。成功体験で取り戻した自身はほんの数か月でお亡くなりになり、無感情の私に戻ってしまいました。
ここで得られた教訓は、メリハリがつかない状態は詰みが近づいていると思うべきだということ。メリハリがつくように、先手先手の処理をすべきであるという当たり前の話。もちろん、直前まで引きずったとしてもクリアできることのほうが多いですが、その時に割り込みのタスクが入ってきたら確実に詰みます。なので、先手先手で行きましょう。
最後の卒業式。別に泣かなかったし、雨だし、やっと卒業か……って感じ。でも、結構楽しかったな。というか、僕、ギャルゲーのむかつく主人公みたいなやつだなーって。いろんなトラブルにまんべんなく巻き込まれているし、その原因は大概自分が雑にしてきたことだったりするし……。そこに女の子がいれば完璧でした。しかし、現実は悲しいもので、彼女はいまだにできません。
高専に対して思うこと
偏向報道はしないように気をつけつつ……。
- 良いところ
確実に学力が身についていることを実感できる
サポートが結構充実している
学生主体(大学っぽい)ところが多い
好きなことをやる時間が潤沢
数学をそこそこ深く学べる
- 良くないところ
理不尽なテスト
ガバガバなテスト(簡単すぎるor過去問ママ)
勉強が復習していること前提で進む(これに関しては学生の責任ではある)
授業ペースが速い(ものが比較的多い)
(勉強を)やらないと、殺られる(留年)
まとめというかどこからか湧いて出た結論
予習復習を滞りなく行えば留年しません。むしろ好成績になると思われる。編入はカンタンと思わない方がよいけど、規模感(どこを勉強すればいいか)を把握したうえで真面目に勉強すると多分受かる。
高専は辛いことも楽しいこともあるまさにRPG。必要なことは自分で考えて、積極的に選択・行動すること。そうしないとどんどん差をつけられる。
何もしなければほぼ間違いなく彼女はできない。あと、女の子がいない環境は思っている数倍につらい。